繊細女子物語 それでも人の役に立ちたい!!

HSP主婦。自身のいろんな悩みと向き合ってきました。この経験が誰かの悩みを少しでも軽くできますように。。

現在の心理状況って夢に現れるものなのかも!?

私はよく夢を見る。

日常生活で悩んでるときほど、夢を見る。

やはり後味の悪い夢だったりする。

あるときは夢で苦しくなって

「あ”ぁぁぁぁぁーーー」

って叫んでる自分に気づいて、起きるときも人生で数回あった。

 

こんな私が最近すんごくすてきな夢を見てしまった。

夢なのではっきりとは覚えていないのだが、

昔の友達と、すんごくきれいな夜景を見ていたというだけの夢なのだが、

その夜景がほんとにきれいで、キラッキラしていて、

夢の中とはいえ感動してしまったのだ。

 

なんでそんな夢を見れたのかは分からないが、

現実の日常はなんやかんやあるけれども、

私の人生の中では、割と落ち着いて毎日充実した日常をおくれている気はしている。

その安定感が夢に現れていたのだろうか??
その辺の関係のことは詳しくはないが、

毎日こんな夢が見られていたら、どんなに幸せなことだろうか

不幸になる考え方 ~私の場合~

世の中には不幸になる考え方というものがあるらしい。

人から言わせると、私の場合は

自分の考え方の癖

自分のこだわり

人から言われても直せない頑固な部分

などなどらしい。

 

最近なるほどと思ったことがあった。

仕事に取り組むときの考え方と、自分の評価との関係である。

 

現状、会社からの私の評価は、

普段の業務に加えて、他の人には任されない業務も任されていることもあり、おそらく信頼はされているだろう。

ふつうはここで、自分が思う自分の評価はまずまず良いだろう

と、思ってアイスでもぺろりとたいらげて、眠れば良いものの、

 

私の場合、ここからが一癖ある

でも、

「自分的には、他の人より業務のスピードが遅いから、ダメなんだ!!」

と、自分へのダメ出しをし、順位が出る成績表をみて落ち込む。

 

こうしてこの出来事を人ごとのようにしてみると、

まぁなんて不幸体質な考え方だろうか。。。

と思う。

 

まさに、自分のこだわり、頑固な部分である。

幸せに眠れる考え方ではまずないな。

 

何が言いたいかというと、

自分軸(自己評価)にこだわり続け(スピードが遅いからダメという考え方)、

他人軸(他者からの評価)をないがしろにする。おろそかにする。受け入れない。

という構造になっていたのである。

 

よく、「自己肯定感を上げるには、他人軸ではなく自分軸で考えましょう」とあるが、それを忠実に守っていたばかりに、考え方が偏ってしまっていたのだ。

 

確かにその考え方は嘘ではないが、

要は

自分軸と他人軸とのバランスで、自己肯定感は保たれる場合もあるのだ。

何事も、「こうしたほうが良いよ」とアドバイスの書いた本などあるが、

時と場合、この時は当てはまる場合もあるが、私には当てはまらない場合もある。

と、

すべてをそっくり受け入れるのではなく、その時その時、自分で考えこれは受け入れようと、選択していくのが大事である。

 

つまり、私の場合は、他者からの評価(会社からの信頼)があるから、

自分の評価(スピードが遅いからダメ)はそれほどこだわらないで、

できることを伸ばしていったほうが、ひとまず今は幸せにアイスを食べられそうだ。

「ふつうに生きる」ことの難しさ

「ふつうに生きる」って奇跡の連続だと思う。

あたりまえの毎日なんて、1日もない。

奇跡の積み重ねが日常だと思う。

 

特に最近大きな出来事があったわけではないが、昔を振り返ると、確かにそう思う。

 

私はとくに体に障害があったり、日常生活を送るのに特段困ったことはなかったが、

さいころから、

「なんでみんなと同じように〇〇ができないんだろう。」

と、よく思うことが多かった。

なんでみんなと同じように、普通に会話できないんだろう。

なんでみんなと同じように、笑えないんだろう。

なんでみんなと同じように、進学できないんだろう。

なんでみんなと同じように、仕事ができないんだろう。

なんでみんなと同じように、考えられないんだろう。

 

なんでみんなと同じように、振舞えないんだろう。

 

今考えると、苦しくてしかたなかったな。。。

 

学生時代は比べる人が多くて、嫌でも比較してしまっていたのかも。

自分が想像する「世間のふつう」に少しでもずれるのが怖かったな。

でも「ふつう」にしなきゃってこだわっていたら、

なんだか今度は「ふつう」ってなんなの!?

なんで「ふつう」に沿わなきゃいけないの!?

なんて疑問も湧いてきたりして。。

 

昔は「ふつうに生きる」ことにこだわりすぎていたな。

もちろん、「ふつうに生きる」ことが絶対ダメなわけではないし、それがあるとスムーズに生きられるときもある。

 

でも、歳を重ねたら、あまりそれにこだわらなくてすむようになったな。

 

「ふつうに生きる」をちょっぴり諦めたら、

自分の人生、生きやすくなったな。

 

こだわりを手放すと、少し楽になることあるよね。。

 

歳を重ねるってマイナスに捉えられやすいけど、私は歳を重ねるごとに、自分のことが理解してあげやすくなって、生きやすくなってきている。

 

だからより、「ふつう」でいることの難しさや、尊さ、素晴らしさが分かるようになってきている。

 

同じような毎日も、奇跡の連続。

それを継続させてくれているのは、周りの人や自分のおかげ。

今には戻れない。

そう思うと、少しは1日1日が愛おしく感じられるかな。。

相手の問題を自分の問題として置き換えないことは大事なこと

私はHSP気質なものであるので、相手の気持ちに引っ張られやすい面がある

良く言えば、相手の気持ちに寄り添いやすい。共感しやすいなどである。

もっと言うと、相手との境界線がはっきり引けなくて、近づきすぎて自分が疲弊してしまうのである。

 

この特徴とは上手く付き合えれば、人と波風立てずに付き合えるが、

あまりこの特徴と上手くやれないときは、自分が疲弊してしまい、自分以外のものに振り回されてしまう

 

なんとか仲良くしていきたい特徴である。

 

特に近しい間柄の人が悩んでいたり、大変な状況に置かれていたとする。

すると、話を聞いていくと、なんとか相手を助けてあげたい

大変な状況から、救ってあげたいなどの思いが湧き出る。

その思いから、おせっかいにも、「こうしたほうが良いよ。」

「今こう偏った見方になっているから、こちらの面にも注目したほうが良いよ。」など、自分なりに冷静に分析して、伝えてしまう。

 

すると、相手は「ほーっ」っとした表情になるときもあったり、理解はしてくれるときもある。

しかし、そうは思うけど、行動にはできないのである。という。

 

私は、「なんで!!そう思えるなら行動に移した方が絶対楽だよ。」と思うのであるが、

私的には伝えたいことは伝えたし、これ以上はもううるさく言わないと、ぐっと抑えるのである。

 

なぜなら、これは

私の抱える問題ではなく、相手の抱える問題である

これ以上首を突っ込むと、私の抱える問題にもなってしまう。

ここで大事なのは、私はそんなにキャパの大きい人間ではないので、潰れてしまうからだ。

 

相手がどんな立場の人間であるかにもよるが、大人だったら、あとは自分で立ち上がっていくしかない。

あと、いくら正しいこと、そうした方が良いことを言われていたとしても、それを自分の中で嚙み砕いて自分のものになるのには

その人それぞれタイミングというものがあると思う。

 

なので、相手がそれを自分の中に落とし込めるタイミングを見守ってあげるのも、やさしさなのかな、大事なことなのかなとも思っている。

 

私のようなHSP気質の人は、相手は相手自分は自分。と少し意識して相手の話をきくと、少し楽に人の話を聞けるのかなと思った。

苦手だと思っていた人との程よい距離感を発見した

今日職場でちょっと嬉しい出来事があった。

以前から少し苦手だなと思っていた人から(おそらくあまり良く思われていないだろうなと思っていた)、今日私の人柄について褒められた。

 

一瞬耳を疑ったが、

「えっっ、そんな風に思っていてくれていたの!?」

「なにそれ!!嬉しいんですけど!」

と心の中で発狂しながら、その言葉を信じることにした

私の表情はというと、ニヤニヤしていたであろうに違いない

 

そもそもなんでその人が苦手だったかというと、

まぁ、物事の感じ方、笑うとこのツボ、が合わなくて、なんか読めない人だった。

最初はなんでそんな言い方するのだろうかと、理解に苦しむこともあったが、

私は思った。

相手が良く読めない、なんかフィーリングが違うなぁ、って思っているのはお互いに思っていると私は感じた

でもお互いにそれでも歩み寄って話しかけたりはしていたので、それなりに悪い人ではなさそう。

でも掴めない人。

んんーーー、最初は嫌われているのかと思っていたし、もっと気合わせてくれYA!とも思ったけれど、

それはお互いにそう思っているのだと考えを改めた

 

すると、

あっ、これどっちが悪いとかの話ではないな

どちらも悪くないな

その証拠に、むしろお互い歩み寄っているではないか

と気づく事が出来た。

 

そこから流れが変わったように感じた

その人を好きでも嫌いでもないけど、

仕事面では信頼できる。その人の良い面は感じ取れる。

 

そう思った矢先に、その思いを自然と伝えられるきっかけがあった。

その人に、「最後の確認をするのは〇〇さん(その人)が良いと思います。(仕事面で信頼しています。のサインのつもり)」

と伝えられた。

その人もその時は、ぽかんとした表情をしていた。

 

しかし今日最初の方で話したように、私のことを褒めてくれた。

 

それって、お互いの心の温かい本音の部分の交換ができたってことで良かったですよねーーー!?

 

おそらく、お互いが、相手の自分に対しての違和感に気づきつつも、でもお互いのことを認め合えた結果、起こった出来事だと思った。

 

私の「相手へのこの部分は信頼できる。」という気持ちを受け取ってくれる人で良かった。ほっっ。

 

苦手だと思っていた人との付き合い方には、程よい距離感が必要だ

この部分は苦手。でもこの部分は凄いと思う。尊敬する。信頼できる。

と、まるごとその人が嫌いではなく

なるべく気持ちをフラットにして、良い面が見つけられて、それを認めてあげられると、相手への対応ももしかすると柔らかくなっていくのかもしれない。

それはいつしか自分へ返ってくるのかもしれないなぁ。。と思った。

最初から見返りは期待しないでおいたほうが、お互いのためではあるが。。

小さなことだけど、私の自己肯定感を上げる癖のご紹介

私は自己肯定感がはっきり言って高い方ではない

気付いたときに、自己肯定感を高めることを意識して取り組まないと簡単にダダ下がりしてしまう。いかんいかん。。

 

こないだふと自分の癖で気付いたことがあった。

これって自己肯定感を上げることに、ちっちゃなことだけど繋がっているのではないか!?

 

それは、よく過去に自分のしたことで、現在の自分が助けられたと思った時などに、自分で自分に対して、

「昨日の自分よ、ありがとう。」

心の中で感謝をするのである

 

注意するのは、心の中で行うということだけだ。

まぁ、その場に一人なら声に出した方が自己肯定感はもっと上がりそうだけど。。

 

使い方

昨日の夜余力があったから、今日の分の夕飯のおかずも一緒に作っておいた。

そして、今日仕事から疲れて帰ってきて、さて夕飯の支度をせねばと思ったときに、昨日作ってあったことに気づいた瞬間。。

「昨日の私よ、感謝だわ。」

「昨日の私よ、ありがとう。」

などと、心でお礼を言う。

 

その儀式は一瞬だけど(笑)、なんか自分のやる癖の中で好きな儀式である

(完璧に自己満であるが、家族や友達にも一切知らせていない儀式ではあるが(笑)。。)

 

こうして改めて振り返ると、小さなことだけど自分を大切にしている瞬間ではないかなぁと思った。

小さなことの積み重ね、大事ですよね。

人に愚痴を聞いてもらう時に、気を付けていること

愚痴を人に話したくなる時は、生活をしていれば多々あるだろう。

大きなものから、小さなものまで。

逆に人の愚痴を聞く側になるときもある。

職場でも一人や二人こんな人はいないですかね?

口を開けば愚痴ばっかり言っている人。

そんなに人の悪口ばかり言っているけど、その人(愚痴の対象の人)のこと気になっているのはあなただけではないでしょうか?的なお方。

 

その人が喋りだすと、なんかみんなの空気ががらっと引き締まる気がする。

その人が喋っていることを聞いていると、なんか後味悪くて、重たい気持ちになる。

 

私はなるべくそんな時間を過ごしたくないし、人にもそんな思いをさせたくないと思う。

 

では私は一体どんなことに気を付けて、人に愚痴を聞いてもらってたかな?

 

振り返ってみると

愚痴は愚痴でも、なるべく最後は明るく前向きにオチをつけたり

相手がアハハと笑えるように話を持って行ったり笑えるネタにしようと心掛けてたかもしれない。

 

その方が相手も暗く負担にならずに、心配させずにいてもらえるよね?

ネガティブな話聞いてもらっちゃったからこそ最後はクスリと笑ってもらって、ちょっとはチャラにしてもらえるかな?

な思いから、相手への気遣いを忘れずに愚痴を話すと、割と聞いてもらいやすくなる。

 

しかし注意点として

最近はそれをやりすぎてるのか、真剣な愚痴?悩みもあまり深刻にとらえてもらえないときもあったりしたので(笑)、

真剣に聞いてもらいたいときは、真剣モードがやはり良い。

しかし何事もバランスが大事であるから、そのあたりは臨機応変に行きたいものである。