「ふつうに生きる」ことの難しさ
「ふつうに生きる」って奇跡の連続だと思う。
あたりまえの毎日なんて、1日もない。
奇跡の積み重ねが日常だと思う。
特に最近大きな出来事があったわけではないが、昔を振り返ると、確かにそう思う。
私はとくに体に障害があったり、日常生活を送るのに特段困ったことはなかったが、
小さいころから、
「なんでみんなと同じように〇〇ができないんだろう。」
と、よく思うことが多かった。
なんでみんなと同じように、普通に会話できないんだろう。
なんでみんなと同じように、笑えないんだろう。
なんでみんなと同じように、進学できないんだろう。
なんでみんなと同じように、仕事ができないんだろう。
なんでみんなと同じように、考えられないんだろう。
なんでみんなと同じように、振舞えないんだろう。
今考えると、苦しくてしかたなかったな。。。
学生時代は比べる人が多くて、嫌でも比較してしまっていたのかも。
自分が想像する「世間のふつう」に少しでもずれるのが怖かったな。
でも「ふつう」にしなきゃってこだわっていたら、
なんだか今度は「ふつう」ってなんなの!?
なんで「ふつう」に沿わなきゃいけないの!?
なんて疑問も湧いてきたりして。。
昔は「ふつうに生きる」ことにこだわりすぎていたな。
もちろん、「ふつうに生きる」ことが絶対ダメなわけではないし、それがあるとスムーズに生きられるときもある。
でも、歳を重ねたら、あまりそれにこだわらなくてすむようになったな。
「ふつうに生きる」をちょっぴり諦めたら、
自分の人生、生きやすくなったな。
こだわりを手放すと、少し楽になることあるよね。。
歳を重ねるってマイナスに捉えられやすいけど、私は歳を重ねるごとに、自分のことが理解してあげやすくなって、生きやすくなってきている。
だからより、「ふつう」でいることの難しさや、尊さ、素晴らしさが分かるようになってきている。
同じような毎日も、奇跡の連続。
それを継続させてくれているのは、周りの人や自分のおかげ。
今には戻れない。
そう思うと、少しは1日1日が愛おしく感じられるかな。。