繊細女子物語 それでも人の役に立ちたい!!

HSP主婦。自身のいろんな悩みと向き合ってきました。この経験が誰かの悩みを少しでも軽くできますように。。

認知症の本から得た、日頃の人間関係でも役に立つ大切なこと

うちの祖母は90歳を超えているが認知症と付き合って生活している。

そして母親が付き添いで介護をしている。

いわゆる老々介護って呼ばれるものかもしれない。

 

そこで私も何か力になれればと、最近、認知症の人と向き合うにはどうしたらよいかのような、本を読んだりしている。

 

そこで得たことは、やはり認知症の方は物事を忘れてしまうということなどに対して、不安を抱えている

介助者の方から、「さっきも言ったよね?」的なことを言われないように、必死で言われたことを覚えておこうと何度も何度も頭に繰り返して記憶しておこうと、かなりの努力をしているというのである

つまり認知症があろうと、人に迷惑をかけたくないという気持ちは残っていて、その思いから必死にできなくなっていくことを、努力してなんとかしてできる状態でいようと頑張っていたのであるという。

それを知ったとき、胸が締め付けられた。

 

あと、例えば認知症の方が、夜に窓越しに向かって「亡くなったはずの●●さんがそこに立っている!!」と怖い思いをして興奮状態になる。

妄想や勘違いをしているわけであるが、その時介助者は、冷静に落ち着いて、認知症の方に対して、「そうみえるのですね。それは怖かったですね。」など声掛けをして、「それは窓越しに見える、認知症の方のお顔が窓に映っているんですよ。(つまり自分のお顔ですよ)」と教えてあげるらしい。

 

そのことから気づいたことは。。

まず認知症の人の目線に合わせて、気持ちに合わせて、考えてあげるのが大事ということだ。

普通に考えて、その場にそぐわないおかしな発言をしたとしても、まずいったん、「あなたはそのように思ったんですね。それは怖かったですね。」と認知症の人の気持ちに寄り添って、共感してあげる。

すると、認知症の人は安心する。落ち着く。そこから介助者に対して心を開いていく。

 

あれ!?

これって、認知症の人に対してだけでなく、通常生活していて、人と接するときにも通ずる考え方ではないか?

 

自分の意見と全く逆の意見や、ちょっとあれ?って行動を相手がしたとき、すぐに「それおかしいって!」と意見を投げつけるのではなく、

相手がなんでその意見をいったか、なんでその行動をしたのか、

なぜだろう?

と、相手の立場、目線に立って、考えてみる

するとなんでそのようになったかが見えてくることがある。

そうなると、こちらが投げかける言葉も柔らかくなったりする

すると衝突を防げたりする。

 

考えても分からなかったら、

「なんでそう思ったの?」と素直に聞いてしまう。

そうすると、相手も理由を話してくれて、そこから話合ってお互いを理解することができる。

 

つまり、相手の立場にたって、歩み寄って考えてみる

どんな人にでも共通する、大切な方法

あと、「なぜ?」って問いかけも、相手を理解するうえで大事な歩み寄りの一つだと思う。

それを意識して生活していたら、なんとなく自分と合わない相手のことも、少しづつ理解できるようになり、衝突も減らすこともできたかなぁ。

どちらにしようか決断するのに迷ったときの考え方

シンプルに何か物事をやる。または、やらない

どちらの道にしたら良いのか迷う時、

結論から言うとどちらが正解でどちらを選ぶと不正解かなんて、最初からそんなものは決まってないと思う

極端に危ないことなどを決断する以外は。

最近そうであって欲しいと思っている。

 

結局悩むってことは、どちらかの道を選んだとしても、どっちもどっち。

つまりメリットもデメリットも同じくらいあるということだ。

ほんとに大事にしたい想い、優先したいことがあるときはそちらの方ができることを選べば良い。

でも自分が優先したいことが、大事にしたいことが分からない状態であるなら、やるorやらないの決断でどちらを選んでも良いのだと思う

 

何が言いたいのかというと

正解なんて自分では分からないし、まして他人に決めてもらおうなんて、あまりしない方が良いと思う。

正解なんて最初からは決まっていない。

やるorやらないのどちらか選んだその先の道で、自分の力で道を進んで行き、こちらの道を選んで正解だったなぁって、数年後に思うくらいの感覚で良いんではないかと思う。

 

私はあまり過去の自分で決断してきたことに対し、あとになってそんなに大きく後悔はしないタイプだ。

そのときそのとき、苦しみながらもがきながら自分が出した答え、決断に対して、そのときの自分が考え出せるベストだと思って生きている

全部が全部良い結末なわけではないが、弱ってる全自分が絞り出した決意に対して、敬意すら感じる。

だから過去の出来事で嫌な思いをしたことは何度もあるけれど、あの時の自分に感謝ができる。

だからあまりあの時に戻って選択をやり直したいとかは、あまりない。

それを言ったらきりないしな(笑)

今も今で苦しいときはあるけれど、今まで培ってきたモノが今の自分を支えてくれている。

だから悩みは尽きないが、今がベストだ。

歴代の自分の中で、今が最強なハズ。。。

考える力をつけていければ、最強な自分は更新していくはずだ(仮)

そんなふうに少し自分に優しく自分自身を励まして、歳を重ねて生きていけたらなと思う。

 

まとめると、

正解にするかは自分自身の心が決める。

決めた先の道を正解にしていけば良い。

失敗したと思うか、正解だったと思うかは自分の捉え方次第。

どちらを選んでも、人様に大きな迷惑をかけなければ、ある程度自分は自由に選べる権利があるんだ!の精神で選んで良い。

あの時あぁしてたらなぁ。。も後で思い起こせば、長い人生のスパイス的なしょっぱい思い出話の一つにでもなるであろう。。。

 

あまり悲観的にならず、どんっっと構えた大人に少しはなれているかな?

幼少時代の私よ。。。(笑)

 

気持ちを落ち着かせるには、頭の中で幽体離脱をしてみよう~

人とのやり取りで物事が行き詰まったときは、自身の物事の見方の偏った癖が発揮されているときがある。

私がこうゆう事言われるのが苦手なのに、そうゆう言い方はやめてほしいって伝えてあるのに。。などなど思う時、

(もちろん相手に対して、それは確実に言い過ぎだろという場合もあるが)

どれだけ私を苦しめれば気が済むんだ!!って感情に支配される。

 

だがしかし、それは自分の都合で物を見ているときも結構ある。

視野が狭くなっているということだ。

一旦冷静になり、相手がどういう背景でその言葉を私に投げかけたのか、私にもそう言われる原因がなかったであろうか、再確認してみる。

 

つまり、別の角度から出来事を見つめてみる

変な話、自分が幽体離脱したような感覚上空から、自分と相手のやり取りの再現をみてみる。第三者のような感覚で。

 

すると、色々見えてくることがある。

あっ、私がこの発言をしたから、相手はこう答えたんだな。と、別の切り口で見られるようになると、最初に思ったはらわた煮えくりかえるような思いが、意外なことに、全く逆の感想を抱くことになる。

 

そう、物事を考える見方に気づかせてくれて、その視点を教えてくれて、

ありがとう。

ありがとう!?。。。。

そうです。感謝の気持ちに変わるときもあるのです。

自分の成長に繋げてくれたからです。

 

つまり良い部分に目を向けることができてくるようになり、それを続けると、思考のパターンに変化が出てきて、体調も良くなった。

 

相手の良い面にも気づける。するとそちらの面で満足ができ、悪い面には少し蓋をできるようにもなった。

 

しかし、ここからが今現状の気持ち。

良い面と悪い面との割合だ。

良い面はある。気付けもした。しかしそうでない面がその倍あるとすると、また状況は変わるよね。

感謝は残るが、この先も近くにいて付き合いを続けてよいのか。

自分の限界を超えてまたは、なあなあにして、生きてく価値はあるのか。

自分の大切にしたいものって何なんだろ。答えなんて出せるのかな。

それともなんとなくほどほどにして、生きてくのが賢いのかな。。

先のことが見えないと、予測がつかないと、怖くなることありますよね。

 

やってみなくてはわからない。

なるようにしかならない。

なるようになる。

この言葉、大事にしているけれど、まだまだ今は勇気がでないなぁ。

今はまだそうゆう時なんだろう。

頑張っている自分には、毎日ご褒美!のススメ

今日の夕方、なんだか最近頑張っているなぁ、なんだか疲れたなぁと、ふと思った。

 

次に気づいたときには、ファミレスでいちごのパフェを注文していた。

 

そうです。タイトル通り、自分へのご褒美です。

 

ご褒美は、月一では少ないんです。

週一だと、物足りないんです。

だから毎日なんです!!

 

そんなに高いご褒美でなくても良いんです。365日でなくても良いんです。

なんか元気でないな。頑張ってるのに報われないな。

そんな風に感じた時だけでも良いんです。

 

私は自分で自分を褒めるという行動が苦手です。得意ではないです。

自分で自分を褒めてあげるなんて、何の意味があるの?

自分が自分を認めてあげるなんて、何の価値があるの?

そう思いがちです。

 

しかし、自分に一番身近な自分に対して、認めてあげたり褒めてあげたり、労ってあげたりができなければ、自分が大切にしたい人達にも、そうしたことができませんよね。。

 

なのでまずは、自分を大切にしてあげるという意味でも、毎日ご褒美!

 

そんなことを想いながらパフェを完食し、ふと辺りを見渡すと、他のテーブルの席が5客くらい埋まっていた。

みんな何注文しているのだろうかなぁと、ちらっと見てみると、

なんとなんと老若男女みな私と同じいちごのパフェを注文していたのである。

夕方5時だよ。おーーい!

そしてマダムたちの席からは、人生相談のようなお話がラジオのように繰り広げられている。

みんな疲れているのかな。。(偏見)

 

しかしパフェ美味だったな。まだまだご褒美のジャンルが少ないから、もっと広げていこう。

日常は悩み→選択→決断の繰り返し

やっぱり日々生きていると、小さなことから大きなことまで決断をするタイミングがやってくる。

 

今日何を食べよう?

今日どの服を着よう?

今日仕事休もう!

 

。。。あっ、最後は悩んでないか。。。

 

私は色々な経験から様々なことに気づいたと、いかにも何でも知ってしまったんだぞ!的な発言をしているが、そんなことはない。

まだまだ未熟で未知なことが山盛りである。

 

その証拠に早速次の大きな悩みを抱えている。

まだ長年解決していない悩み。定期的に決断に迫られる波が来る。

どう決断に向かおうか。

やはり私の得意技発揮、ぐるぐる永遠に悩めるんデスーー!

まぁ、それは良くない。前回学習したはず。

 

自分はどうしたいか。自分軸で考えること、最近忘れていたなぁ。

もともと私は他人軸で、相手がどう思うから、相手だったらこう考えるであろうから、私はそれに沿ってこうする。

と考えがちだ。

何事もバランス。そのことに今日は再確認できたことで今日は良し!

という決断で一日を締めくくろう。

人生壮絶病んでた時代①から復活するまでに気づいたこと⓷

前回の続きです。
☆気づき☆
どんな小さなことからでも、何かに気づけるか。物事から考えが浮かぶかが大事

→どんな小さな経験も、良いことも悪いことも、時間をおいて寝かせれば、自分の成長とともに気づきが得られる。

→一見全然関係のないことも、共通することの無さそうなことからでも、時間をおくとそこからでも、今の悩みを解決する糸口、気づきになることもある。

→どんなジャンルからでもヒントになり、知ることが楽しくなる。

→自身は最初全くできなかったが、歳を重ね、色々な経験を通して、少しづつできるようになった。繰り返すことで自然とできるようになった。

 

物事から、逃げる・避ける・除ける・諦める・見切りをつけるは悪いことではない場合もある

→物事や自分の凝り固まった考え方から離れると、良い結果に繋がることもある。

→逆に、それはないでしょ!って考え方をもう一度よく考え直してみる(逆の考え方に意識を向ける)と、実はうまくいくこともある。

人生壮絶病んでた時代①から復活するまでに気づいたこと⓶

前回までのブログを読んでくださった方がいるということで、だいぶ励みになりました。
ありがとうございます。

 

前回の続きです。


☆気づき☆

意識があれば(をすれば)、自分は変われる

→自身は自己否定の塊で、今の自分じゃダメなんだという気持ちが強すぎた。今を満足できなかった。自分を強く変えたかった。

→結果、周囲にアドバイスを求めすぎた。

→すると、ますます自分が分からなくなり、弱くなっていった。

→なので、自分を一気に全部変えすぎようとすると危険。ゆっくり徐々に変わるくらいで良い。

 

現状は時間の流れによって、必ず変わる

→季節が変わるように、またはそれに伴って、状況も、自分の心持ちやとらえ方も、周りの人も変わる場合がある。

→体調も、心も、少し浮き上がったり少し下がったり、小さな波の繰り返しで、気づいたら体調は良くなっていく。