気持ちを落ち着かせるには、頭の中で幽体離脱をしてみよう~
人とのやり取りで物事が行き詰まったときは、自身の物事の見方の偏った癖が発揮されているときがある。
私がこうゆう事言われるのが苦手なのに、そうゆう言い方はやめてほしいって伝えてあるのに。。などなど思う時、
(もちろん相手に対して、それは確実に言い過ぎだろという場合もあるが)
どれだけ私を苦しめれば気が済むんだ!!って感情に支配される。
だがしかし、それは自分の都合で物を見ているときも結構ある。
視野が狭くなっているということだ。
一旦冷静になり、相手がどういう背景でその言葉を私に投げかけたのか、私にもそう言われる原因がなかったであろうか、再確認してみる。
つまり、別の角度から出来事を見つめてみる。
変な話、自分が幽体離脱したような感覚で上空から、自分と相手のやり取りの再現をみてみる。第三者のような感覚で。
すると、色々見えてくることがある。
あっ、私がこの発言をしたから、相手はこう答えたんだな。と、別の切り口で見られるようになると、最初に思ったはらわた煮えくりかえるような思いが、意外なことに、全く逆の感想を抱くことになる。
そう、物事を考える見方に気づかせてくれて、その視点を教えてくれて、
ありがとう。
ありがとう!?。。。。
そうです。感謝の気持ちに変わるときもあるのです。
自分の成長に繋げてくれたからです。
つまり良い部分に目を向けることができてくるようになり、それを続けると、思考のパターンに変化が出てきて、体調も良くなった。
相手の良い面にも気づける。するとそちらの面で満足ができ、悪い面には少し蓋をできるようにもなった。
しかし、ここからが今現状の気持ち。
良い面と悪い面との割合だ。
良い面はある。気付けもした。しかしそうでない面がその倍あるとすると、また状況は変わるよね。
感謝は残るが、この先も近くにいて付き合いを続けてよいのか。
自分の限界を超えてまたは、なあなあにして、生きてく価値はあるのか。
自分の大切にしたいものって何なんだろ。答えなんて出せるのかな。
それともなんとなくほどほどにして、生きてくのが賢いのかな。。
先のことが見えないと、予測がつかないと、怖くなることありますよね。
やってみなくてはわからない。
なるようにしかならない。
なるようになる。
この言葉、大事にしているけれど、まだまだ今は勇気がでないなぁ。
今はまだそうゆう時なんだろう。